子宮頸がん有名人13人の体験談

子宮頸がんは女性に増えてきているがんの1つです。

有名人の中でも子宮頸がんを公表された方が大勢いらっしゃいます。

ここでは、有名人14人の子宮頸がんについての体験談をまとめました。

ぜひ最後までご覧くださいね。

子宮頸がんの有名人①高橋メアリージュンさん

高橋メアリージュンさんといえば美しい顔立ちとプロポーションで皆さんご存じですよね。

CanCamの専属モデルを長年勤め、連続テレビ小説で女優デビューを果たします。

現在、モデル業から女優業まで幅広く活躍されていますよね。

実は、2016年に子宮頸がんの一歩手前の段階である「高度異形成」と診断され「円錐切除術」を受けられています。

高橋メアリージュンさんは当時29歳でした。

子宮頸がんの前段階には軽度異形成、中等度異形成、高度異形成があります。

軽度異形成であれば自然治癒することも多いので、経過観察を行っていきます。

数年にわたって中等度異形成が続いたり、高度異形成へ悪化した場合は手術が検討されます。

円錐切除術は子宮頚部の一部を円錐状に切除する手術なので、子宮体部は温存できます。

そのため、将来的に妊娠や出産を希望される患者さんは円錐切除術が第一選択となります。

高橋メアリージュンさんは、この円錐切除術で切除した組織を検査したところ、がん細胞が見つかったそうです。

がんが進行するとより大きな手術や抗がん剤治療、放射線治療が必要となります。

定期的な検診で早期発見することがとても大切だとあらためてわかりました。

子宮頸がんの有名人②三原じゅん子さん

続いては三原じゅん子さんです。

三原じゅん子さんは小学生の頃から芸能活動を始め、さまざまな作品に出演されています。

3年B組金八先生がブレイクのきっかけでしたね。

その後も歌手活動やレーシングドライバー活動など多岐に渡る活躍を見せています。

現在は自由民主党所属の参議院議員です。

三原じゅん子さんは2008年に受けた人間ドックで子宮頸がんの検査を受けたところ、再検査が必要となり大学病院を受診します。

そこで高度異形成と診断され、円錐切除術を受けました。

切除した組織を検査したところ、子宮頸部腺がんと診断されたそうです。

子宮頚部腺がんは悪性度が高く、予後が悪いと言われています。

その後、子宮を摘出する手術を受けられています。

芸能界での仕事が忙しい中で、大変な思いをされたと思います。

このがんを患った経験から、国会議員を目指したとお話されています。

現在は国会議員としてがん対策など様々な活動にご尽力されています。

がんを経験され当事者の皆さんの気持ちがわかる方が国会で活躍されているのは、とても心強いですよね。

子宮頸がんの有名人③大竹しのぶさん

続いては、大竹しのぶさんです。

大竹しのぶさんと言えば、日本を代表する大女優のおひとりですよね。

1974年にドラマ出演し、その後映画で本格的にデビュー。

それからはドラマ、映画、舞台など、多くの話題作に出演されています。

1988年には明石家さんまさんと結婚され、翌年に長女のIMALUさんを出産、1992年に離婚されています。

大竹さんの飾らない人柄と独特な存在感に、惹かれる方も多いのではないでしょうか。

そんな大竹さんですが、実は1992年に子宮頸がんの前がん状態だったといいます。

当時は公表されていませんでしたが、2006年に発売された自伝につづっています。

婦人科検診がきっかけで見つかったそうです。

前がん状態であったため、子宮を摘出することはなく、レーザーで円錐切除術を受けられています。

入院期間も2日間ほどだったそうです。

がんの早期発見には検診がとても重要ですね。

とはいえ、芸能界でひっぱりだこの状況での病院受診と入院は、スケジュールの調整などが大変だったと思います。

当時は公表していなかったので、周囲の人に迷惑や心配をかけたくない思いもあったのではないでしょうか。

子宮頸がんの有名人④和田アキ子さん

続いては、和田アキ子さんです。

和田アキ子さんは、日本の大御所歌手のおひとりです。

力強い歌声とメロディーは、今も昔も変わらないですよね。

若いころからジャズやクラブなどで歌い始めたそうです。

1968年にレコードデビューをします。

人気を博し、紅白歌合戦には何度も出場されています。

歌手活動だけでなく、様々なバラエティ番組にも出演しています。

「アッコにおまかせ!」は今でも人気の長寿番組ですよね。

そんな和田アキ子さんですが、1981年に結婚した2か月後に子宮がんが判明します。

治療のためには子宮全摘手術が必要だったといいます。

手術により子宮をとってしまえば妊娠・出産ができなくなります。

和田さんはとてもショックを受けたといいます。

しかし、夫の励ましで手術を決意します。

がんや手術については世間に公表せずに仕事復帰されています。

和田さんは強い女性のイメージもあり、病気に関する公表は難しかったと思います。

辛い気持ちを見せずに仕事を続けていたのですね。

それからも芸能界で活躍し続け、今もこんな元気なお姿でテレビに出られているのは、視聴者としては嬉しいですね。

子宮頸がんの有名人⑤原千晶さん

続いては、原千晶さんです。

原千晶さんは2度の子宮頸がんを経験されています。

1994年にクラリオンガールというキャンペーンガールに選出され、芸能界デビューをしました。

その後も数々のバラエティー番組などに出演し、人気タレントとなります。

他にもラジオやモデルなど様々な方面で活躍されていました。

2005年、30歳の時に初めて子宮頸がんと診断されます。

医師からは子宮全摘手術をすすめられたそうです。

しかし、将来子どもを産みたいという希望があり「病院で月に1度の検査を受けること」を条件に円錐切除術で子宮を温存しました。

手術は無事に終了し、仕事も再開されます。

術後の経過も良く、最初のうちは通院されていたそうですが、自己判断で通院をやめてしまいます。

2009年、腹痛と大量の性器出血で病院を受診したところ、子宮頸がんと子宮体がんの診断を受けます。

子宮全摘手術を行い、抗がん剤治療を6コース行ったそうです。

抗がん剤の様々な副作用症状を乗り越え、治療を終えられたんですね。

その後、自信の辛い経験から「よつばの会」という婦人科がん患者さんたちの情報提供の会を設立しています。

子宮頸がんの有名人⑥休井美郷さん

続いては、休井美郷さんです。

休井さんといえば、2021年に恋愛リアリティー番組「バチェラー」に参加し話題になりましたね。

普段はパン教室の講師をされているそうです。

見た目もとても可愛くて癒し系で、男女問わず人気があります。

その見た目とは裏腹に、あざといところも人気の理由だと思います。

以前はモデルやアイドルもされていたそうです。

休井さんは2023年、32歳の時に子宮がん検診を受けられました。

1か月後に検診の結果が届くと、そこには精密検査を勧める内容が書かれていました。

結果を見たときはとてもショックだったといいます。

その後すぐに病院を受診し精密検査を受けたところ、子宮頸がんの前がん状態である高度異形成と診断されたのです。

全身麻酔のもと、病変部をレーザーで焼く手術を受けられました。

早期に発見できたため子宮は温存することはできたそうです。

子宮頸がんは他のがんと比較すると、若い方もなりやすいのが特徴です。

若いうちは、がんについて考える機会はなかなか少ないですよね。

20歳以上の女性は2年に1度、子宮頸がん検診をすることが推奨されています。

ほとんどの市区町村では費用の多くを公費で負担しており、自己負担額は一部です。

早期発見のためには、子宮がん検診が重要ですね。

子宮頸がんの有名人⑦古村比呂さん

続いては、古村比呂さんです。

古村さんは1985年に映画デビューをし、1987年に連続テレビ小説「チョッちゃん」でヒロインを務めます。

女優として一躍人気となった古村さんは、その後もドラマや映画、舞台などで活躍されます。

2012年に検診を受けたところ、子宮頸がんがみつかります。

子宮頸部の一部を切除し子宮は温存する手術を受けたのですが、がんが周囲に広がっていることが判明したためその後子宮全摘手術を受けられます。

子宮頸がんは、がんの広がりによって周囲のリンパ節を切除する場合もあります。

古村さんはその合併症としてリンパ浮腫を発症し、足の強い浮腫に悩まされたといいます。

2017年に子宮頸がんの再発がわかり、抗がん剤治療と放射線治療を受けられます。

抗がん剤治療は放射線治療の効果を高めて骨盤内における再発を防いだり、目に見えないような全身のがんに効くため、同時に行われます。

抗がん剤治療、放射線治療ともに単独で行っても副作用症状があるのに、同時に行うのは辛さが大きかったと思います。

治療後は腫瘍マーカーが正常値に戻ったそうですが、後に肺とリンパ節への転移が見つかったため再び抗がん剤治療を行いました。

舞台の出演が決まっていたそうですが、治療のため降板されています。

2023年には腹部傍大動脈リンパ節への転移を公表されています。

このように長年にわたってがんと付き合いながら様々な治療を乗り越えておられます。

辛い治療や症状が多いと思いますが、日々の様子や楽しい出来事などもブログなどで綴られています。

ファンの私たちも、応援したくなる気持ちとほっこりと癒されることが多いですね。

子宮頸がんの有名人⑧井出智さん

続いては、井出智さんです。

井出さんは芸能プロダクションの代表取締役を務められていた方ですが、子宮頸がんのため2023年に亡くなられています。

もともと生理痛が重かったそうですが、2019年に腹痛が続いていたため婦人科のクリニックを受診したところ、大きな病院を受診するよう勧められました。

大きな病院で検査したところ、子宮頸がんと診断されました。

その後受けられた子宮全摘手術は8時間にも及んだそうです。

術後は立つことも歩くことも大変で、少しずつ歩行練習をして歩ける距離を伸ばしていったといいます。

当時は大手芸能プロダクションに勤めており仕事が忙しかったため、術後も病室で仕事をしていたそうです。

手術のあと、続けて抗がん剤と放射線治療を受けられています。

とても大変な治療だと思いますが、井出さんは「抗がん剤治療は吐き気が少なく脱毛もなかったため副作用はさほどつらくなかった」と話されています。

抗がん剤治療時はあらかじめ吐き気止めを使用することが多く、個人差はありますが今の抗がん剤治療は昔のようなイメージとは少し違っていると思います。

ひと通りの治療を終えて経過観察となりましたが、井出さんが会社から独立して新たな芸能プロダクションを設立して間もなく再発と転移がわかりました。

井出さんは再度抗がん剤治療を行いました。

吐き気や脱毛などの副作用症状が出ましたが、何とか乗り越えられました。

しかし、使える抗がん剤がなくなり標準治療が終了となりました。

その後は緩和ケアを受けられていましたが、2023年に亡くなられています。

井出さんは生前、子宮頸がんについてみんなに知ってほしいというメッセージを発信されていました。

子宮頸がんで悲しむ人が少しでも減るように、私たちも正しい知識を持つことが大切ですね。

子宮頸がんの有名人⑨仁科亜季子さん

続いては、仁科亜希子さんです。

仁科さんは1972年に芸能界デビューし、その後さまざまなドラマや映画に出演されています。

1979年に松方弘樹さんと結婚され、2人のお子さんをもうけられています。

1991年、お子さんが8歳と6歳の頃に子宮頸がんが判明します。

当時はがん=死というイメージがあったそうで、涙が止まらなかったといいます。

すぐに入院し、手術、抗がん剤、放射線治療を受けられたそうです。

約4か月にもわたる入院治療でしたが、子どものためと自分を奮い立たせて乗り切られました。

子宮頸がんは克服しましたが、その後も小腸がん、盲腸がん、大腸がんを経験されます。

子宮頸がんで様々な辛い治療を体験されたことから、定期的な検診を欠かさず受けていたそうです。

検診のおかげで早期発見・治療に繋げられたといいます。

仁科さんはがんに関する啓もう活動も行われています。

定期的な検診を受けることはとても重要ですね。

子宮頸がんの有名人⑩稲沢朋子さん

続いては、稲沢朋子さんです。

稲沢さんは2012年に雑誌「STORY」の読者モデルとしてモデルデビューしまs。

雑誌での人気が高まり、専属モデルとなります。

2016年からはカバーモデルを務められています。

2019年に卒業後も、様々なファッション雑誌のモデルを務めたり、イベントや女優業でも活躍されています。

30歳のころ、胃痛で外科や婦人科で検査をしたところ、胃痛の原因は盲腸だったそうですが、婦人科での精密検査をすすめられたそうです。

婦人科で検査を行ったところ、初期の子宮頸がんと判明しました。

その後、医師と相談して1カ月入院のもと治療することとなりました。

子どももいたため、長期の入院は不安が大きかったといいます。

母親としてとても心配になりますよね。

入院は個室にして、家族との時間を大切にしていたそうです。

治療を無事終えてからは、定期受診で経過観察となりました。

10年目でやっと「卒業」となったそうです。

小さなお子さんがいるなかでの治療は不安が大きいと思いますが、家族の支えはとても心強いですね。

看護師として、患者さん本人はもちろんのこと、家族ケアも重要ですね。

子宮頸がんの有名人⑪ZARDのボーカル坂井泉水さん

続いては、坂井泉水さんです。

坂井さんはモデル活動を経て1991年にZARDのボーカルとして歌手デビューします。

ZARDといえば「負けないで」「揺れる思い」など、9作でミリオンヒットを記録しています。

みなさんも思い出深い大好きな曲が多いですよね。

順調な歌手生活でしたが、2000年以降は闘病生活が続きます。

子宮筋腫や子宮内膜症など次々に病気が見つかり、紅白歌合戦の出場も辞退しています。

それでも毎年のように新曲をリリースしていました。

通院生活を続けながら歌手活動をしていましたが、2006年、仕事中に体調不良があり病院で検査したところ子宮頸がんが見つかります。

2006年6月に手術を行いましたが、2007年4月に肺への転移が判明します。

その後は抗がん剤治療を受けながら入退院を繰り返します。

子宮頸がんの再発は、一般的に難治性と言われています。

治療歴や再発部位に合わせて治療方針が検討されてます。

医師からは余命2か月と宣告されていたそうです。

それでも亡くなる前の病室では詩を書いたりアルバム制作を計画していたと言います。

2007年5月、入院先の病院で転落し亡くなられています。

40歳という若さでした。

子宮頸がんは若い女性も多いため、仕事や子育てなど社会的な役割が大きい年代でもあります。

治療だけでなく、患者さんの全てに寄り添う看護が必要ですね。

子宮頸がんの有名人⑫森昌子さん

続いては、森昌子さんです。

森さんは1972年に「せんせい」で歌手デビューをします。

当時はまだ13歳でした。

翌1973年には紅白歌合戦にも出場されています。

その後は歌手、女優として活躍されました。

前夫は森進一、息子にはONE OK ROCKのTaka、MY FIRST STORYのHiroがおり、芸能一家ですね。

森さんは2010年に子宮頸がんのため子宮全摘手術を受けています。

手術は4時間ほどかかり、おへその下たりに約20㎝ほどの傷ができたそうです。

術後は40℃の高熱が出て、体重は3kg減ったとお話されています。

その後は再発なく過ごされているようです。

子宮頸がんの術後は、手術による痛みや発熱、麻酔による吐き気といった症状が出ることが多いです。

また、他にも術後の合併症には出血、腸閉塞、排尿トラブルなどがあります。

術後の早期だけでなく、その後も注意が必要なんですね。

これらの合併症の予防のため、このような症状がある中でも術後早期からの離床がすすめられています。

子宮頸がんの有名人⑬向井亜紀さん

続いては、向井亜紀さんです。

向井さんは大学生の頃、ラジオDJとしてデビューします。

その後もテレビ番組のリポーターとして活躍され、グラビアアイドルとして写真集を出されたり、トレンディードラマ、バラエティー番組にも出演されています。

1994年にプロレスラーの高田延彦さんと結婚されます。

2000年に妊娠が発覚し検査を受けたところ、子宮頸がんが判明します。

病巣の広がりが大きく、命の危険があるため妊娠継続が困難とのことでした。

その後広汎子宮全摘術を受けます。

広汎子宮全摘術は子宮、卵管、卵巣、子宮周辺の組織、リンパ節といった広い範囲を切除する大きな手術です。

術後は腸閉塞や排尿障害、リンパ浮腫など様々な合併症のリスクがあります。

手術により妊娠はできなくなりましたが、代理出産を決意しアメリカへ渡ります。

そこで代理母より双子の赤ちゃんを授かりました。

子宮頸がんは若い女性にも多いがんなので、妊娠・出産といったライフステージにも大きく影響してきます。

婦人科系の疾患はデリケートな問題も多いです。

術後の身体的なケアだけでなく、精神的、社会的なケアも重要ですね。

 

子宮頸がん有名人13人の体験談まとめ

子宮頸がんの有名人13人についてまとめました。

発症と経過
①高橋メアリージュンさん 29歳で高度異形成と診断。円錐切除術を受けられる。
②三原じゅん子さん 高度異形成で円錐切除術を受けたところ子宮頸部腺がんと診断。
③大竹しのぶさん 婦人科検診で前がん状態が発覚し円錐切除術を受けられる。
④和田アキ子さん 子宮がんで子宮全摘術を受けられる。
⑤原千晶さん 円錐切除術後に子宮全摘術と抗がん剤治療を受けられる。
⑥休井美郷さん 子宮がん検診で高度異形成と診断。円錐切除術を受けられる。
⑦古村比呂さん 子宮全摘術後、再発のため抗がん剤治療と放射線治療を受けられる。
⑧井出智さん 子宮全摘術、抗がん剤と放射線治療を行いましたが再発と転移。再度抗がん剤治療後に緩和ケアへ移行。2023年に亡くなられています。
⑨仁科亜希子さん 子宮頸がんの診断で手術、抗がん剤、放射線治療を受けられる。
⑩稲沢朋子さん 初期の子宮頸がんのため1が月の入院治療を受けられる。
⑪坂井泉水さん 手術後に転移が発覚し抗がん剤治療を受けられたが余命2か月と診断。40歳で亡くなられています。
⑫森昌子さん 4時間におよぶ子宮全摘術を受けられる。
⑬向井亜紀さん 妊娠発覚時の検査で子宮頸がんと診断され広汎子宮全摘術を受けられる。アメリカで代理母により双子の赤ちゃんを授かる。

 

 

 

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